2007年07月06日
母
( なんで 私・・ こんなに忙しいの? 勤めから帰って落ち着く暇も無く 夕食作り・・食後の余韻を味わう時間を皿洗いに取られ・・ 洗濯物をたたんで・・時計を見ながら風呂に入って・・今日出た物を洗濯して・・干して・・ ふぅ~~ もう寝る時間・・・ ほんと! 働く主婦って 大変 。。><。。。 ) 
働く主婦が 悩みやストレスを抱えていても それらを うまく自分のものにしながら 生活しているのに
私は 内心 勝手に被害者のような気持ちを持ちつつ すっきりしない毎日 ・・・
( 女って 大変~~! 私 次に生まれて来る時は 男に生まれた~~~い ! )

友人に こう 愚痴りながらも せっせと働く毎日なのです ・・・
いつものように 夕食後の洗い物をしていた私の手が 止まりました
テレビの音声に耳が釘付けになったのです
演歌の番組で 「母」 を歌っていました
「 母への感謝状」 という 歌でした
私は 「 母 」 という言葉に 弱い
のです
( 森昌子の「おかあさん」 や 森進一の 「おふくろさん」 が 大好きです )
その歌に聴き入りながら 母への想いがこみ上げてきました
私の母は 24年間 パーキンソン病を患い そのうちの 後半は ベッドに寝たきりでした
( 私は 娘として 母に 何一つ 孝行していなかった
母が喜ぶことを もっと して もっと 言ってあげればよかった
母の寝ている姿に 心を痛めたけれど それは母にとって何の慰めにもなっていなかった
私が母に出来ることは たったの一つだったのに ・・
頻繁に母の所に行き 声が出せない母のそばで たくさん 話しかけることだったのに ・・
それを 父に託してしまっていた ・・ )
たった一つのことも 思うほどしてこなかった後悔の念と
母に申し訳ない という 贖罪の気持ちが 母が亡くなって10年近くになろうとする今でも
私の心の奥に息づいています
しかし 母のほうが より以上に 私のことを心配してくれていたと思うのです
口で話せない分 心で 私にいろいろ話しかけていたんじゃないかな?
怖いほど まっすぐ 私を 見る母の瞳が それを物語っているようでした
私が 母を想うのと同じように
私の娘たちも 母である私のことを 心配したり 気遣ったりしてくれていることを実感したとき
親子というよりも
― 「 母と娘 」 としての つながりを 「 母 」 という存在の大きさを ―
改めて感じました
― 「母」 って どの世界でも同じなんだな
優しくて 暖かくて 安心できる 場所なんだな
何年 何十年 何百年 何千年 ・・・・
母と子の 歴史は 繰り返されて来たんだな ―
私は
娘でなければわからない 心模様を知り
母でなければ感じられない 喜びを 多く味わって来たのだと思うと
女に生まれ 母の娘となり 子供たちの母になった事が
この上もなく 素晴らしいことだと 最近よく思うようになりました
( 女って すばらしい ~~! 私 次に生まれて来る時も
ぜったい 女に生まれた~~~い ! )

「母」 を 自覚しながら 日々 生きています

働く主婦が 悩みやストレスを抱えていても それらを うまく自分のものにしながら 生活しているのに
私は 内心 勝手に被害者のような気持ちを持ちつつ すっきりしない毎日 ・・・





友人に こう 愚痴りながらも せっせと働く毎日なのです ・・・
いつものように 夕食後の洗い物をしていた私の手が 止まりました
テレビの音声に耳が釘付けになったのです

演歌の番組で 「母」 を歌っていました
「 母への感謝状」 という 歌でした
私は 「 母 」 という言葉に 弱い

( 森昌子の「おかあさん」 や 森進一の 「おふくろさん」 が 大好きです )
その歌に聴き入りながら 母への想いがこみ上げてきました
私の母は 24年間 パーキンソン病を患い そのうちの 後半は ベッドに寝たきりでした
( 私は 娘として 母に 何一つ 孝行していなかった
母が喜ぶことを もっと して もっと 言ってあげればよかった
母の寝ている姿に 心を痛めたけれど それは母にとって何の慰めにもなっていなかった
私が母に出来ることは たったの一つだったのに ・・
頻繁に母の所に行き 声が出せない母のそばで たくさん 話しかけることだったのに ・・
それを 父に託してしまっていた ・・ )
たった一つのことも 思うほどしてこなかった後悔の念と
母に申し訳ない という 贖罪の気持ちが 母が亡くなって10年近くになろうとする今でも
私の心の奥に息づいています

しかし 母のほうが より以上に 私のことを心配してくれていたと思うのです
口で話せない分 心で 私にいろいろ話しかけていたんじゃないかな?
怖いほど まっすぐ 私を 見る母の瞳が それを物語っているようでした
私が 母を想うのと同じように
私の娘たちも 母である私のことを 心配したり 気遣ったりしてくれていることを実感したとき
親子というよりも
― 「 母と娘 」 としての つながりを 「 母 」 という存在の大きさを ―
改めて感じました
― 「母」 って どの世界でも同じなんだな
優しくて 暖かくて 安心できる 場所なんだな
何年 何十年 何百年 何千年 ・・・・
母と子の 歴史は 繰り返されて来たんだな ―
私は
娘でなければわからない 心模様を知り
母でなければ感じられない 喜びを 多く味わって来たのだと思うと
女に生まれ 母の娘となり 子供たちの母になった事が
この上もなく 素晴らしいことだと 最近よく思うようになりました



ぜったい 女に生まれた~~~い ! )


「母」 を 自覚しながら 日々 生きています
