2007年12月05日
干支 ねずみ大黒
今年も残すところあと1ヶ月足らずになってしまいました
来年の干支作りが盛んに行われる時期です
各地の特色を持った様々なネズミが 来年には活躍することでしょう
私の家の近くに 毎年今頃 干支の土人形を作っているご老人がいます
廉兵衛(れんべい)さんが作る人形なので
れんべいでこ と呼ばれ親しまれています
※でこ=人形
何とも素朴な人形で 見ると心がほっとします
各地の民芸愛好家から問い合わせがあるんですよ!
昨日帰宅すると 玄関の棚の上に 小さな紙の箱が・・
そっと開けて中を見ると・・
日本紙に包まれた 土人形が入っていました
大黒さまに抱っこされたネズミが
恐縮そうに中から出てきました

素朴な可愛らしさがありました
れんべいさんと 今は天国にいるうちのおばあちゃんは
同じ年に この地に生まれた同級生でした
巷の噂で聞いた事があります
廉兵衛さんは うちのおばあちゃんのこと
幼い頃から好きだったとか・・
だからということではないのでしようが
今頃になると 黙って玄関に置いていってくださるのです
そんな廉兵衛さんに 私たち家族は
何となく親しみを感じているのです
れんべいさんの土人形が おばあちゃんを連れてきてくれるようで・・

来年の干支作りが盛んに行われる時期です
各地の特色を持った様々なネズミが 来年には活躍することでしょう
私の家の近くに 毎年今頃 干支の土人形を作っているご老人がいます
廉兵衛(れんべい)さんが作る人形なので
れんべいでこ と呼ばれ親しまれています
※でこ=人形
何とも素朴な人形で 見ると心がほっとします

各地の民芸愛好家から問い合わせがあるんですよ!
昨日帰宅すると 玄関の棚の上に 小さな紙の箱が・・
そっと開けて中を見ると・・
日本紙に包まれた 土人形が入っていました
大黒さまに抱っこされたネズミが
恐縮そうに中から出てきました

素朴な可愛らしさがありました
れんべいさんと 今は天国にいるうちのおばあちゃんは
同じ年に この地に生まれた同級生でした
巷の噂で聞いた事があります
廉兵衛さんは うちのおばあちゃんのこと
幼い頃から好きだったとか・・

だからということではないのでしようが
今頃になると 黙って玄関に置いていってくださるのです
そんな廉兵衛さんに 私たち家族は
何となく親しみを感じているのです
れんべいさんの土人形が おばあちゃんを連れてきてくれるようで・・

2007年12月04日
おやじ
最近 角界からの話題が豊富です
昨日は 朝青龍が久しぶりに土俵に帰ってきました
日本の寛大なファンは 大喜びで
「 よ~~!
にっぽんいち~~!!
」と
威勢の良い掛け声を張り上げて その場を盛り上げています
私には 応援していた力士がいました
今年8月に亡くなった 『佐渡ケ嶽 親方』
『元横綱 琴櫻(ことざくら)』です
琴桜は 私の地元 倉吉市出身です
地元出身ということもありましたが
決して派手さはないものの
何よりも 真面目で人情味に溢れる
誠実な人柄が好きで応援していました
現役時代は「猛牛」と呼ばれ
度重なる負傷と気の弱さに苦しんで
好不調の波が大きい人でした
しかし 「努力と忍耐」が実って
昭和48年 1月に横綱に推挙されました
弟子集めに頗る熱心で 短期間で大部屋を作り上げ
殆ど全ての弟子の名に「琴」を附けています。
親方になってからは 「角界のおやじ」 と呼ばれ
稽古場の上がり口に どっか! と腰を下ろし
部屋の力士たちを叱り飛ばすのですが
必ず相手の目をしっかりと見て指導していたそうです
弟子を思う愛情に満ちていた目だったのです
昨今は 角界だけではなく 家庭や職場でも
このように 真摯で真っ直ぐ 且つ 愛情にあふれた
「おやじ」 が求められているのではないでしょうか?

うちの 「おやじ」 は??・・
昨日は 朝青龍が久しぶりに土俵に帰ってきました
日本の寛大なファンは 大喜びで
「 よ~~!


威勢の良い掛け声を張り上げて その場を盛り上げています
私には 応援していた力士がいました

今年8月に亡くなった 『佐渡ケ嶽 親方』
『元横綱 琴櫻(ことざくら)』です

琴桜は 私の地元 倉吉市出身です
地元出身ということもありましたが
決して派手さはないものの
何よりも 真面目で人情味に溢れる
誠実な人柄が好きで応援していました
現役時代は「猛牛」と呼ばれ
度重なる負傷と気の弱さに苦しんで
好不調の波が大きい人でした
しかし 「努力と忍耐」が実って
昭和48年 1月に横綱に推挙されました
弟子集めに頗る熱心で 短期間で大部屋を作り上げ
殆ど全ての弟子の名に「琴」を附けています。
親方になってからは 「角界のおやじ」 と呼ばれ
稽古場の上がり口に どっか! と腰を下ろし
部屋の力士たちを叱り飛ばすのですが
必ず相手の目をしっかりと見て指導していたそうです
弟子を思う愛情に満ちていた目だったのです

昨今は 角界だけではなく 家庭や職場でも
このように 真摯で真っ直ぐ 且つ 愛情にあふれた
「おやじ」 が求められているのではないでしょうか?


倉吉白壁土蔵群 入り口辺りで
大手を広げお客さんを迎えている 『琴櫻』ブロンズ像
大手を広げお客さんを迎えている 『琴櫻』ブロンズ像
うちの 「おやじ」 は??・・

2007年12月03日
感謝
娘の結婚式を無事終えることができました

当日は お天気もよく
私の心も 寂し雲がうっすら掛かった秋晴れのような気落ちです
家として 又 娘を嫁がせる親として 至らないこともあり反省もしましたが
今回 何より感じたのは 感謝の気持ちでした
数十年前 私自身が嫁いだときは
自分の花嫁としての立場でしか結婚式を見ていなくて
自分が生家を離れる寂しさだったり
お祝いに来てくださった親戚の方のお祝いの言葉だったり
友人の喜んでくれる顔だったり
賑やかな祝い歌だったり・・ と
目の前に見える華やかなものを 結婚式として感じていました
しかし 今回 両家の一員として送る立場で捉えたとき
違った意味で 結婚式というものを感じました
遠路から 二人のために祝福に来てくださった親戚・友人の方
都合をつけて祝いに来てくださった会社の上司・同僚の方
涙を流して喜んでくれた友人
式の打ち合わせから 衣装 写真の段取り
会場の準備から運営・終了まで 担当してくださった
ウエディングプランナー 及び 式場スタッフの方々
皆々さまに いっぱいお世話になった結果が
人生の大きな節目となるこの結婚式を 無事終了できたということに
ただただ 感謝するだけです
皆様のおかげで
「 いい 結婚式だったね!
」 と 言っていただきました
( ありがとうございました・・
) と 心からお礼を言いたいです
こうして 集まってくださった方々の つながりに感謝して・・・

そうそう!
若い二人も 打ち合わせから衣装選び 小物の手作り・・などなど
大変慌しかったと思います
お疲れ様でした~
私は 田舎に居ることを良いことにして
あまり お手伝いができなかったことを詫びながら
二人に 感謝・・です

当日は お天気もよく

私の心も 寂し雲がうっすら掛かった秋晴れのような気落ちです

家として 又 娘を嫁がせる親として 至らないこともあり反省もしましたが
今回 何より感じたのは 感謝の気持ちでした

数十年前 私自身が嫁いだときは
自分の花嫁としての立場でしか結婚式を見ていなくて
自分が生家を離れる寂しさだったり
お祝いに来てくださった親戚の方のお祝いの言葉だったり
友人の喜んでくれる顔だったり
賑やかな祝い歌だったり・・ と
目の前に見える華やかなものを 結婚式として感じていました
しかし 今回 両家の一員として送る立場で捉えたとき
違った意味で 結婚式というものを感じました
遠路から 二人のために祝福に来てくださった親戚・友人の方
都合をつけて祝いに来てくださった会社の上司・同僚の方
涙を流して喜んでくれた友人
式の打ち合わせから 衣装 写真の段取り
会場の準備から運営・終了まで 担当してくださった
ウエディングプランナー 及び 式場スタッフの方々
皆々さまに いっぱいお世話になった結果が
人生の大きな節目となるこの結婚式を 無事終了できたということに
ただただ 感謝するだけです
皆様のおかげで
「 いい 結婚式だったね!

( ありがとうございました・・

こうして 集まってくださった方々の つながりに感謝して・・・


そうそう!
若い二人も 打ち合わせから衣装選び 小物の手作り・・などなど
大変慌しかったと思います
お疲れ様でした~

私は 田舎に居ることを良いことにして
あまり お手伝いができなかったことを詫びながら
二人に 感謝・・です
